くすりになるはなし。

ほんわかする話から惚気話まで。

私の夫婦観。

先日、夫と喧嘩をしました。

きっかけは些細なことで、とあるデータをネカフェでプリントアウトしてきてほしい、と寝る前に布団の中で頼まれたことからでした。

「データはUSBに入ってる?」

私はただ確認しただけ*1のつもりだったのですが、夫は急に怒りながら布団を抜けだしてPCを触り始めました。帰ってきてひとこと。

「明日の朝にしようと思ってたのに」

はぁ?

夫の不満に理不尽を感じて、黙ってはいられませんでした。

「じゃあ明日の朝にすればよかったじゃん」

「だってさっさと入れろって言ったし」

「入れろとは言ってない。入ってるかって聞いただけ。Yes/Noの2択しか求めてないし、明日の朝にするならそう言ってくれれば納得したのに、勝手にこっちの質問の意図を察したつもりになって、勝手に行動して、勝手に生み出した不満を私にぶつけるとか意味分かんない」

夫は「しまった」という顔をしていましたが時すでに遅し。私はそっぽを向いて不貞寝しました。

 

夫がずれた深読みをした原因は、おおよそ推測できていました。

夫の発言を借りると、夫の育った家は「子どもは親の発言の真意を読み取り、その上で親の求める(発言なり行動なりの)答えを出さなければいけない。それ以外は一切聞く耳を持たれないし、不機嫌になる」というものだったらしいです。

そういう家庭に育って、夫は「発言の真意を汲み取った上で発言・行動することを求められる」ことが当たり前になりすぎていました。それが行動原理になっていることすら気がつかないくらいに。

ただ、夫の家庭環境が育てたのはあくまでも「親の思考過程」を考慮すること。私は夫家の人間ではありません。全く違う環境で育った、全く違う思考の傾向を持つ人間です。だから、食い違いが生じたのだと思いました。

それをすぐに指摘せずに不貞寝した理由は、理不尽に怒っている夫の顔が怖かったからという、いたく子どもじみたものでした。

 

次の日の夕食後、夫が私に謝ってきました。

私の立てた仮説は概ね正しかったらしいです。全くの無自覚だったことも含めて。

 

私が伝えたのは2つ。

1つは、私は言葉の裏にある真意を読み取ってほしいと思わない、むしろ聞かれたことそのものに対しての答えが欲しいこと。

もう1つは、私の考えがどうであれ、自分の思いがあるなら伝えてほしいこと。

「あなたは『2人で同じ方向を見ながら歩んでいきたい』って言ったよね。私は、見る方向を2人で決めていきたいの。片方が意見を殺してもう片方に合わせるのは嫌。2人で意見を出し合って、2人とも納得した方向に歩んでいきたい」

お互いが何でもかんでも全てを曝け出す、とは言いません。

ただ、私が伴侶と築く関係は、忌憚ない意見を遠慮なく言い合える関係でありたいのです。

片方が我慢して相手に合わせるだけの関係は少しずつ2人の間に溝を作っていき、年月を積み重ねるほど距離が開いてしまうから。

 

夫はあの夜、私に不満をぶつけてきました。

私は、夫に「気持ちを表出できる相手」と認識されていました。

だから、大丈夫。

2人で同じ方向にむけて歩んでいける。

そう信じています。

*1:夫PCを私が動かす許可は得ているので、データを入れ忘れたまま出勤しても私がデータをコピーすればいいと思っていた